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第873話「無限回廊形式」

どうも、エンドレスルイナです。

こう書くと8話連続でまったく同じ更新が来てしまいそうですが。


さて、ビミョーなネタを挟みつつ、今回のネタ。

今の教育は、「個性」だのと言って子供を大事にしているように見えるが、実際に行っているのは、徹底的なパターン化である。 「考えるのが好きだった」

タイトルは本文中の一文より引用。
現代教育の齟齬というか、理想と現実を語っている記事というか、そんな感じです。

私がタイトルに引用した一文にもあるように、現代の(義務)教育は
いわゆる「パターン」に沿ったものとなっております。「教育要綱」というものです。
パターンとはルーティーンでもあります。すなわち、「型にはめる」のですね。

型にはめた教育を施すというのは、「学生のほぼ全員の学力を水準値まで持っていく」という
想いがあるわけです。規定の教育水準があって、そこまで学生のほとんどを持って行くのに、
パターン化するというのは非常に手っ取り早く、また効果もあるのです。

デメリットとしては、学生の思考もパターン化・平準化してしまうというところ。
問題提起されたときに通り一辺倒の回答しかできなくなってしまい、
想像力や発想力が鍛えられないというわけですね。

それを憂いて、少し前に「ゆとり教育」(またゆとり教育ネタかい)が採用されるのです。
ゆとり教育の思想としては、パターン化された教育から一旦脱却し、
学生の想像力・発想力に任せることにより、クリエイティブな感性を鍛えることを
目的としていたわけです。

…理想はそうだったわけですが、現実はそうそう上手くは運ばず。
教育パターンを崩すことによって発生する弊害・背反として、
「ほぼ全員の学力を水準まで持ってくる」ことが出来なくなってきたのです。
「学力低下」と声高に叫ばれる結果となってしまったわけですね。


…まあ、ゆとり教育ネタは最近結構多く語ってるような気がするのでもういいとして、
学生というのはパターン化された教育をされるわけです。
「テストで高得点(100点)を取る」のが目的となるのです。
それによって評価されるので、学生は「高得点を目指し」学力を高めるのです。


さて、学生の間はそれで構わないというかそれがある種の「正義」なわけですが、
学生という枠を離れると、急転直下のごとく突然にベクトルが変わるのです。

ルーティーンの中で、テストで高得点を取ることを目標とし、それを実現すべく
学力を高めてきたのが、社会という世界に出た途端に急激に優先度が低下するのです。
まったく無意味かというとそんなことはないのですが、
「学力」よりも「発想力」が優先されるようになるのです。

「発想力」というのは「パターン」の中からは生まれにくいもの。
なぜなら新たなる発想・創造というのは未開の地を開拓するようなものだから。
「パターン」から脱却した先で培われるものなのです。


だもんで、現代教育からは「発想力」は非常に培われにくいのです。
しかし将来的に求められるのは火を見るより明らか。
先を見据えてクリエイティブな感性を鍛えようとしてパターンから脱却しようにも、
今度は学生として直接評価される「学力」が疎かになってしまう。

なかなかどうして、上手くいかないものです。
学力があり、発想力豊かで、要領が良いみたいな完璧超人はごく稀なのです。



…で、なんか何を言いたいかわからなくなってきましたが、
元記事の冒頭にあるような「(おりこうさんだったと思われる)学生」というのは
世の中にたくさんいると思うんですよ。

何が悪いかなんて一概にはいえないことではあるのですが、
真面目でありすぎるのも問題であり、不真面目であるのもよろしくない。
しかし真面目であることを求められ、そのくせ不真面目さも要求される。

なんだかよくわからない世の中になったものですね。
…と、一歩間違えたら社会不適合者まっしぐらなわたくしルイナさんが
身をつまされる想いで書いたエントリーでした。




次回予告ッ!
アサルトでありながらアグレッシブさは殆ど無い管理人!
ハードな部分も一向に見受けられず、非常にフニャフニャしたものであった!
次回、「にゃんにゃんメモリィ」! …死語?w

テーマ : 教育問題について考える - ジャンル : 学校・教育

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