第77話「Lingua furanca.に花束を。」
どうもこんにちは、ルイナでございます。
今回は77話です。7のゾロ目ということでちょっと小話を。
かなり初期にも書いたのですが、私は昔からぽつぽつインターネットを巡っていたのですが、
そのときは漠然と面白いなーと思う程度で、
自分のブログを持とうと思ったことなどまったくありませんでした。
もちろんニュースサイトもほとんど知りませんでした。
てゆーかニュースサイトという言葉を知らなかった。
そんな折、どこでどう引っかかったかもう覚えていませんが、
「Lingua furanca.」というサイトに巡りあったのです。
「Lingua furanca.」(以下りんふら)とはどのようなサイトかというと、
私はそこに辿りついても、それまでと同じようにのほほんと見ていましたが、凄く面白かった。
同じ話題でも中の人によってぜんぜん異なる回答になる。
自分の思ったことが数ある意見の内の1つでしかないことがわかる。とても面白かったです。
で、各管理人のサイトに飛ぶとこれまたハマる。
そうして個人ニュースサイトがどんなものかわかり、その面白さに浸かりました。
また、テキストサイトに関してはそれまで他にもある程度見ていましたが、
りんふらや管理人の元サイトの文章を見て、面白い文章に触れました。
私が見始めたのは第6回か7回かそれくらいの頃ではっきりとは覚えていませんが、
すぐに第1回のネタから見ていったことは覚えてます。
そして、そのときから私の心の内に「こういうのをやってみたいなー」という思いが
渦巻いてき始めたのです。
で、ブログとやらをやりたいなーと思いつつも踏ん切りがつかず時が過ぎてゆき、
去年の12月にようやく始めた頃にはもうラスト2回になっていたわけですが、
りんふらは私に多大なる影響を与えたサイトでした。
現在、私のブログがニュースやテキストがごちゃ混ぜ状態になっているのも、
りんふらと各管理人に影響を受けたところが大きいのです。
前置きが凄く長くなりましたが(いつもの悪いクセ)、
ここからは最終回である第18回に乗っかって、私が思うりんふらの感想を述べたいと思います。
まったく参加していない外からの目線で思ったことを書いてみます。
面白かったことは上に書きましたので、どう面白かったか。
やはり同じ話題なのにいろいろな文章が見れたことが一番でしたね。
比較すると、直球の文章を書かれる方、搦め手で来る方、時には完全にネタでくる方。
各管理人の個性というか、性格が垣間見えました。
お題をずっと見ていっても各管理人のパターンはあまり変わらなかったと感じられましたね。
ストレート主体の正統派はいつも安定してまっすぐな文章で来るので安心して見れましたし、
変化球主体の軟投派は多種多様な文章でこちらの予想の裏を突き刺激を与えてくれました。
そしてナックルボーラーは想像を絶するネタでこちらをアゼンとさせました。コレとか。
観客側の私は、これらの非常にバラエティ豊富な文章を拝見できてとても楽しかったです。
なんというか、例えるなら題目を決められた漫才番組を見ているような感じでしたね。
あるお題に対してネタを仕込み、披露する。
当然、芸人さんによって芸風が異なる。そんな風に思っていました。
各管理人の意見を拝見しておりますと、「内輪」という言葉がちらほら見られました。
中の人どうしでは盛り上がっているのに、外に向いてないからイマイチだといった感じです。
不躾にも私個人の意見を申し上げますと、そんなこと気にする必要は無いと思っていました。
上記の漫才で言うと、披露中に他の芸人さんをイジッたりします。これが「内輪ネタ」ですね。
それを見て面白いと思うか思わないかは人それぞれですが、私としては見てて楽しい。
ようするに、内輪ネタであろうと面白いものは面白いのです。
内輪であることに引け目を感じることはなかったと思います。
また、演出披露が終わった後は楽屋トークもするでしょう。これが中の人どうしの交流です。
そこで感じる内輪と外のギャップは気にすることはないと私は思ってます。
集まって1つのことをするんだからやってて当たり前だし、そこが楽しいというのもあります。
しかし楽しいからって楽屋トークまで披露する番組はあまりありません。
内輪でしかわからない楽しみがあるのと同じように、
外から眺めることでしかわからない楽しみだってあると思っています。
実際、私のようなROM専の観客は言うほど内輪を気にしてはいないと思うのですよ。
ここら辺は参加者と視聴者の意識の違いでしょうね。私がそう思うだけかもしれませんが。
そんな楽しいたのしいりんふらでしたが、不満な点もありました。
参加者が休むことです。
もちろん無茶な意見であることは重々承知しております。
中の人もパーフェクト超人ではないのですから、リアルの状況や自分のサイトの管理、
その他諸々の理由で休むというのはいたしかたありません。むしろ当たり前です。
ですが、いち視聴者としては、期待していたのに記事が来ないという状況は
やっぱり残念なことでした。見たかったのに!って感じでした。
スポーツで例えるなら、観戦したのにレギュラー選手が出場しなかったときと同じ感覚です。
ですから、最終の第18回は凄く楽しかった。
最終回ということもあってか、参加者18人全員が答えてくれました。
このとき私は、「これこれ!こうじゃなきゃ!皆さんの記事が見れて楽しすぎる!!!」と
思うと同時に、「やろうと思えばできるじゃないですか!」とエッラソーなことを思っていました。
テレビを見てるときにテレビに対してツッコミ入れる滑稽な人です。ホントすみません。
それでも、できれば全員出席してほしかったなーという思いを持ってました。
まったくもって無理難題ですね。
ここまでただのROM専いちファンが勝手気ままに書いたことです。
結局は何が言いたいかというと、
すっげーおもろかった!!!!!!
コレに尽きます。
実際、私もやってみたかったんです。トラバ打って。
参加者の方々が「参加するともっと楽しい」とおっしゃっておりましたし。
しかし気づいたときには第17回…ムチャ言うなって感じでしたw
ブログ始めて数日のヤツに書けるお題ではありません。今でも書ける気がしませんが。
…今思えば、第17回はりんふら停止への伏線だったわけですね。
「りんふらが何を生み出したのか」という議論に対しては、
私は諸手を挙げてこう答えます。
りんふらを知らなければ、今でもブログなんてやってはいなかったと断言できます。
…え?そのほうが良かった?そんなこと言わないで!
停止してしまったことは視聴者としては残念ですが、
参加者の皆様、今更ですがお疲れ様でした。とても楽しく拝見させていただきました。
…というわけで、2月23日は私のブログ第77話で、りんふら停止四十九日ということで
私の「Lingua furanca.」に対する感想を実に今更ながら垂れ流しました。
実はずいぶん前からこの時を待っていたんですよ…フフ。
今回は77話です。7のゾロ目ということでちょっと小話を。
かなり初期にも書いたのですが、私は昔からぽつぽつインターネットを巡っていたのですが、
そのときは漠然と面白いなーと思う程度で、
自分のブログを持とうと思ったことなどまったくありませんでした。
もちろんニュースサイトもほとんど知りませんでした。
てゆーかニュースサイトという言葉を知らなかった。
そんな折、どこでどう引っかかったかもう覚えていませんが、
「Lingua furanca.」というサイトに巡りあったのです。
「Lingua furanca.」(以下りんふら)とはどのようなサイトかというと、
ということで、お題を出されてそれに対する答えを発表するテキストサイトです。何人かの管理人が集まって、それぞれ自分らで決めたお題について
色々語るためのブログです。
私はそこに辿りついても、それまでと同じようにのほほんと見ていましたが、凄く面白かった。
同じ話題でも中の人によってぜんぜん異なる回答になる。
自分の思ったことが数ある意見の内の1つでしかないことがわかる。とても面白かったです。
で、各管理人のサイトに飛ぶとこれまたハマる。
そうして個人ニュースサイトがどんなものかわかり、その面白さに浸かりました。
また、テキストサイトに関してはそれまで他にもある程度見ていましたが、
りんふらや管理人の元サイトの文章を見て、面白い文章に触れました。
私が見始めたのは第6回か7回かそれくらいの頃ではっきりとは覚えていませんが、
すぐに第1回のネタから見ていったことは覚えてます。
そして、そのときから私の心の内に「こういうのをやってみたいなー」という思いが
渦巻いてき始めたのです。
で、ブログとやらをやりたいなーと思いつつも踏ん切りがつかず時が過ぎてゆき、
去年の12月にようやく始めた頃にはもうラスト2回になっていたわけですが、
りんふらは私に多大なる影響を与えたサイトでした。
現在、私のブログがニュースやテキストがごちゃ混ぜ状態になっているのも、
りんふらと各管理人に影響を受けたところが大きいのです。
前置きが凄く長くなりましたが(いつもの悪いクセ)、
ここからは最終回である第18回に乗っかって、私が思うりんふらの感想を述べたいと思います。
まったく参加していない外からの目線で思ったことを書いてみます。
面白かったことは上に書きましたので、どう面白かったか。
やはり同じ話題なのにいろいろな文章が見れたことが一番でしたね。
比較すると、直球の文章を書かれる方、搦め手で来る方、時には完全にネタでくる方。
各管理人の個性というか、性格が垣間見えました。
お題をずっと見ていっても各管理人のパターンはあまり変わらなかったと感じられましたね。
ストレート主体の正統派はいつも安定してまっすぐな文章で来るので安心して見れましたし、
変化球主体の軟投派は多種多様な文章でこちらの予想の裏を突き刺激を与えてくれました。
そしてナックルボーラーは想像を絶するネタでこちらをアゼンとさせました。コレとか。
観客側の私は、これらの非常にバラエティ豊富な文章を拝見できてとても楽しかったです。
なんというか、例えるなら題目を決められた漫才番組を見ているような感じでしたね。
あるお題に対してネタを仕込み、披露する。
当然、芸人さんによって芸風が異なる。そんな風に思っていました。
各管理人の意見を拝見しておりますと、「内輪」という言葉がちらほら見られました。
中の人どうしでは盛り上がっているのに、外に向いてないからイマイチだといった感じです。
不躾にも私個人の意見を申し上げますと、そんなこと気にする必要は無いと思っていました。
上記の漫才で言うと、披露中に他の芸人さんをイジッたりします。これが「内輪ネタ」ですね。
それを見て面白いと思うか思わないかは人それぞれですが、私としては見てて楽しい。
ようするに、内輪ネタであろうと面白いものは面白いのです。
内輪であることに引け目を感じることはなかったと思います。
また、演出披露が終わった後は楽屋トークもするでしょう。これが中の人どうしの交流です。
そこで感じる内輪と外のギャップは気にすることはないと私は思ってます。
集まって1つのことをするんだからやってて当たり前だし、そこが楽しいというのもあります。
しかし楽しいからって楽屋トークまで披露する番組はあまりありません。
内輪でしかわからない楽しみがあるのと同じように、
外から眺めることでしかわからない楽しみだってあると思っています。
実際、私のようなROM専の観客は言うほど内輪を気にしてはいないと思うのですよ。
ここら辺は参加者と視聴者の意識の違いでしょうね。私がそう思うだけかもしれませんが。
そんな楽しいたのしいりんふらでしたが、不満な点もありました。
参加者が休むことです。
もちろん無茶な意見であることは重々承知しております。
中の人もパーフェクト超人ではないのですから、リアルの状況や自分のサイトの管理、
その他諸々の理由で休むというのはいたしかたありません。むしろ当たり前です。
ですが、いち視聴者としては、期待していたのに記事が来ないという状況は
やっぱり残念なことでした。見たかったのに!って感じでした。
スポーツで例えるなら、観戦したのにレギュラー選手が出場しなかったときと同じ感覚です。
ですから、最終の第18回は凄く楽しかった。
最終回ということもあってか、参加者18人全員が答えてくれました。
このとき私は、「これこれ!こうじゃなきゃ!皆さんの記事が見れて楽しすぎる!!!」と
思うと同時に、「やろうと思えばできるじゃないですか!」とエッラソーなことを思っていました。
テレビを見てるときにテレビに対してツッコミ入れる滑稽な人です。ホントすみません。
それでも、できれば全員出席してほしかったなーという思いを持ってました。
まったくもって無理難題ですね。
ここまでただのROM専いちファンが勝手気ままに書いたことです。
結局は何が言いたいかというと、
すっげーおもろかった!!!!!!
コレに尽きます。
実際、私もやってみたかったんです。トラバ打って。
参加者の方々が「参加するともっと楽しい」とおっしゃっておりましたし。
しかし気づいたときには第17回…ムチャ言うなって感じでしたw
ブログ始めて数日のヤツに書けるお題ではありません。今でも書ける気がしませんが。
…今思えば、第17回はりんふら停止への伏線だったわけですね。
「りんふらが何を生み出したのか」という議論に対しては、
私は諸手を挙げてこう答えます。
そう、私のブログはりんふらに出会ったことによって生まれたと言い切れます。「全部、Lingua furanca.から始まったんですよ」
(「Lingua furanca.からすべてが始まった / アシタノ」より引用)
りんふらを知らなければ、今でもブログなんてやってはいなかったと断言できます。
…え?そのほうが良かった?そんなこと言わないで!
停止してしまったことは視聴者としては残念ですが、
参加者の皆様、今更ですがお疲れ様でした。とても楽しく拝見させていただきました。
…というわけで、2月23日は私のブログ第77話で、りんふら停止四十九日ということで
私の「Lingua furanca.」に対する感想を実に今更ながら垂れ流しました。
実はずいぶん前からこの時を待っていたんですよ…フフ。
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