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第787話「育つ環境が違うのは当たり前」

どうも、ショボイのは当たり前なルイナです。

さて、前説はスッ飛ばして本題。

あなたは「当たり前」のことを発信してもいいんだよ、というお話 「不倒城」

「当たり前」についての記事。「当たり前」もしくは「当然」とはどういう事か?

発端は、自分が「当たり前」だと思っている知識を披露したところ、
周囲の反応が「当たり前」の反応ではなかったところから、
人それぞれに「当たり前」「当然」な物事というのは異なっているというお話です。

考えてみれば、それはそれこそ「当たり前」なことであり、「当然」の理でもありますね。
思考回路が全く同じヒトなど存在するはずもなく。
現状ではドッペルゲンガーもクローンも、サイエンス・フィクションの世界なのですよ。

同じ思考の人間がいない理由は、「育つ環境」が同じ人間は誰一人としていないからですね。
育つ環境はヒトをオリジナルたらしめる要因であり、ヒトに固有の経験を積ませます。
それは一人として同じヒトを生み出さないという世界の黄金率でもあります。
遺伝子レベルで同等の一卵性双生児で、同じ家庭で育っていたとしても、僅かに異なってくるもので、
その僅かなズレが人生という長いスパンでは決定的な差異となるのです。


そんなこんなで、人間が有する「当たり前」の事象というのは人それぞれ異なってきます。
だから、自分が「当たり前」に知っている物事についても、
他人にとっては「当たり前」ではない「新鮮な」新しい知識となりうるのです。

ここらへんはサイト・ブログ論でもありますね。
何かに言及しようとしたときに、「それについては既に言及された(良質の)記事があるから、
今更同じような内容を書き連ねたところで新鮮味もないし無駄である」といった言説です。

これについても同じことで、その話題について長く接してきた人にとっては
「新鮮味のない劣化コピー」と感じるものであっても、
その話題について初めて目にした人にとっては「新鮮で良質な記事」と
評価されることはよくあることなのです。

要は、「解釈」は人それぞれオリジナルのものを持っているということなんですよ。
これは「経験」や「知識」に置き換えても同じです。全く同じ人間など存在しない。

だからこそ、「当たり前」「当然」の範疇も個人個人で異なってくるのです。


自分が「当たり前」だと思っていることは、他人にとっても「当たり前」であるとは限らない。
むしろ違う場合がけっこう多い。これは「常識」についても同じことが言えますね。
研究分野などにおける専門用語もこれに近い性質を持っています。

自分の持つ「当たり前」が万国共通、万人に適用される「当然」のことだと思っていると
手痛いしっぺ返しを食らう可能性もあるわけですね。



関連:

第119話「五十歩百歩で十人十色」
第137話「誰が為に記事を書く」




次回予告ッ!
物事を極めた人間のことを、人は「プロフェッショナル」と呼ぶ。
管理人の心の中にもプロフェッショナルのイメージが浮かび上がるのであった!
次回、「プログレッシブ・プロフェッショナル」! 〇〇のプロ?

テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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