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第758話「DISTINCTION DIFFERENCE」

どうも、何かが違うルイナです。

「違和感を感じる」という言葉がありますが、「感」という字が連続するため
あまり好きくありません。日本語としては間違ってはいませんけどね。
だもんで私は「違和感を覚える」とよく書きますね。


んなことは例によって本編には何の関係もなく、ここからが本題。

教育ってサービスだと思う 「G.A.W.」

教育について。
教育とは書いて字の如く「教え、育てる」ことですね。
右も左も理解していない相手を導き、一人前に仕立て上げるのが教育です。


で、元記事の本題は「教育を施しても、相手がそれを理解出来るか」というところ。

教育とは教える側と教えられる側という2種類の人種がいて成り立つものです。
当たり前のことですが。

でもって、基本的には知識量でいうと教える側のほうが優勢というか、
豊富な知識を持っています。数式でいうと「教える側>教わる側」ですね。
その知識または経験を相手におすそ分けするのが教育なのです。


しかし哀しいかな、ここで「個体性能の差」というある意味越えられない壁が立ちはだかるのです。

横文字でいうとキャパシティの差。脳ミソの容量の差とでもいってしまいますか。

例を挙げますと、100の能力を持つ人が、そのうちの40程度を教育として相手に施しても、
相手のキャパシティが30しかなかったら、教えた40はオーバーフローしてしまいます。
そもそも限界まで覚えるなんてことも出来ないものですから、
この場合だと良くても実質20程度しか理解出来ないのです。半分です。

教わった側はその40に対して、「自分の限界を遥かに超える情報を流されても処理し切れない」ので
アップアップになってしまいます。混乱してしまい覚えられる30の分も食いつぶすこともあります。
ところが、教えた側からすると「たかが40、覚えられないはずが無い。
だってキャパの半分以下しか流してないんだぜ?楽勝じゃん」となるのです。


「自分と他人は違う」ということを前提としないと、こうなっちゃいますよね。
それは個人の関係でもそうだし、国と国との関係でもそう。

コミュニケーションやリレーションの第一手は、元記事でも言われていますが、
「相手は自分とどこがどう違うか」を「理解」するところからだと思います。
「人間」という種族でくくると皆同じですが、動物には個体差が必ず存在します。


この世は「自分が平均値」ではないのです。

これは上にも下にもいえることですけどね。




次回予告ッ!
ヒットを放てる選手は羨望のまなざしで見られるものである。
コンスタントに3割打てるバッターは良い選手と評価される。
しかし、打席に経てなければ始まらないのであった!
次回、「打席に立つことすら許されない管理人ルイナ」! ベンチ入りしてるだけでもうらやま(ry

テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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