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第603話「理解不能を理解する」

どうも、自らが何なのかわからないルイナです。

自己の探求とはまた哲学的な響きを含んでおるよのう。

さて、ハナッから⊂( ・∀・)ワケ ( ・∀・)つワカ ⊂( ・∀・)つラン♪ので本題に行く。

わからないことへの耐性
「わからない」を自分で引き受ければ他人の目を気にして焦る必要はない。
以上、「DESIGN IT! w/LOVE」
「まなめはうす」様より経由)

「わからない」ということについて。
人間というものは「理解が出来ない」という状態に陥るのを嫌うフシがあるものですね。
それに加えて、あるひとつの「答え」を知りたがるものでもあります。

「わからない」「理解できない」というのは基本的には不安定な状態なわけで、
安定な状態に至ろうとして、わからないことから遠ざかろうとする。
だからこそ早急に、簡単に「わかろうとする」すなわち安定になりたがるのです。
それてわかればそれでいいし、わからなければ今度は不安定にした原因を求める。
「わかるようにしてくれない相手のせい」にする。要は責任転嫁なのですが。


さて、実際のところ「わからない」「理解できない」とはどういうことなのか。

「わからない」には2つの意味がありますね。
「試験の解答がわからない」というパターンと、「何を考えているのかわからない」というパターン。

前者の「『答え』がわからない」というのは、単純に知識レベルの話であり、
「たったひとつの『用意された答え』を知っているかどうか」というものですね。
それを知らなければわかりようがないことでもあります。

この場合は心の安定不安定にはさほど影響が無く、
その物事に興味を持てるかどうかによって対応が変わってきます。
興味があれば雑学的に知識を吸収しようとするし、興味が無ければそれまでですね。


次に、後者の場合の「わからない」。
これは有り体に言うと「他人の思考パターンの理解が出来ない」というものですね。
こちらの場合は前者の「わからない」とは異なり、「たったひとつの『答え』」が無い。
それもそのはず、「答え」のようなモノは「各個人にそれぞれある」ものなのですね。

この場合の「わからない」は心を不安定にさせるのです。
なぜなら、自分の持つ考えという名の答えと噛み合わないから。
自らのルールから外れた存在になっているという風にも言えるでしょうか。
ルールの外側にある「相手の答え」との一致が図れないのです。

手っ取り早く心の安定を求めるため、「答え」を求めるわけですが、
自らの「答え」を以って理解しようとすると、相手との理解の不一致が生まれる。
そして、「なぜ(自分の)答えと合わないんだ!?」という展開になり、
ともすればドロ沼に嵌ってしまうのです。

そこで「自分の考えと合わないからおかしい!」と言うのではなく、
相手の思考を慮って、理解を近づける行動をとらないと
いつまで経っても心の平穏が得られなくなるのです。


…とまあ、グダグダ言ってきましたが、結局私は何が言いたいのか?
さっぱりわからんな…

実は誰よりも私が「今回の記事」のことをわかっていなかったというオチでしたとさ。





次回予告ッ!
だんだんワケがわからなくなってついには投げてしまった管理人!
投げた後に訪れるのは言い知れぬ開放感であった!!!
次回、「自分を解き放つ!」! 開放して覚醒ッ!?

テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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