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第436話「レトロスペクティブ・ゲーム」

どーもどーも、ルイナです。

今日も今日とて起床時間が12時前で、しかもまったく白紙状態でしたので、
いつものうp時刻には間に合いそうもありません。てゆーか間に合ってない。

もはや休みの日はこれがデフォルトなのだよ!
春眠暁を覚えずなのだ!明日にはもう3月だし!



…と、どうでもいい前説はここまでで、本題。

次世代ハードがもたらした悲劇について考えてみた 「れとろげーむまにあ」

私も、それこそ幼稚園児くらいの頃からゲームに触れてきている、
ゲーム暦でいえば20年前後に達しようかというくらいの古参ゲーマーなもので、
この記事に挙げられている感覚はわかる。非常によくわかる。

ですが、現代・現在のゲームもやっている、触れている私としては、
上記の感覚が非常によくわかるという前提の下で意見をつけたい。



ゲームで今と昔を語るときに、必ずといっていいほど出てくるのが「グラフィック」の話。

昔は表現方法も乏しく、いかにして世界を表現するかを、
与えられた選択肢が少ない中から苦心して創造していました。
今ではあらゆる技術が進化しまくって、それこそ現実世界と変わらないくらいにまで
きめ細やかに世界を構築する事ができますね。

そこでよく耳にするのが、「世界観を想像して楽しむ」という行為。
昔はゲーム自体の表現技術が乏しかった反面として、
足りないと感じられた部分をプレイヤーの脳内で補完するという楽しみ方ですね。
これは元記事でも語られておりますし、元記事の元記事(てゆーか銀魂)でも言われています。
かく言う私も、いつだったか「作品を髄まで楽しむのは『妄想』すること」と発言していますし、
表現しきれない部分を想像・妄想することはその作品を最も楽しみ、愛する事なのです。

で、現在は様々な技術が進化しており、グラフィックもものすごくなっています。
元記事に言われているように、現在のゲームのグラフィックは
「想像する」余地がないくらいにまで詳細に表現されています。


しかし、本当にプレイヤーが想像する余地はもう残されていないのでしょうか?

私は、まだまだ「できる」と思っています。


本当に想像する余地が残されていないならば、これ以上ゲームのグラフィックは進化しません。
でも、現在進行形でさらに進化、美麗になっています。
それは、まだまだ今の技術でも表現できない部分があるから進化するんですね。

それに、そもそも想像(もしくは妄想)というものは元来無限のものです。
確かにグラフィックがよりリアルに進化していることによって、
プレイヤーの想像の世界とゲームのグラフィックの世界とのギャップは狭くなっています。
ですが、このギャップは決して埋まったり逆転するようなものではないのです。

たとえ、睫毛・眉毛の動き、頬や唇の筋肉の反応、目線の向かう先など、
キャラクターの表情を繊細に表現していたとしても、
はたまた背景の海・空・大地や街並み・風景などに
詰め込めるだけの情報を詰め込んでいたとしても、
そこから最終的に何を感じるか、どう感じるかはプレイヤーに委ねられるものなのです。
この「感じる事」これこそが「世界観の想像」に他ならないと思っています。

だから、美麗なグラフィックを見て「想像する楽しみを奪われた」という意見を見るたびに、
私としては少し残念というか、もったいないなぁと思ってしまいます。
プレイヤー、すなわち人間の想像力・妄想力はまだまだこんなものじゃないと思うんですよ。


また、元記事では以下のようにも語られています。

(映像+サウンドの進化=演出、世界観の表現の向上が)
ゲームという娯楽がエンターテイメントに豹変していくことを指す。
ゲームに求めるものはあくまで「ゲーム」であって、断じて「エンターテイメント」ではない。
しつこいようだが、エンターテイメントなら映画を観たほうがいい。
CGムービーや美麗なグラフィックという売り込みは正直もうウンザリだ。
また、エンターテイメントになってしまった作品のBGMはまったく思い出せない。
それほど印象が無いのである。世界観に合わせ、サウンドもオーケストラや
重厚なサウンドになっていったが、これが良かったのかは甚だ疑問である。


確かにこういった感覚はわかります。「ゲームに求めるものはゲーム」はまさにその通りです。
ゲームしてるんだから、ゲーム以外の要素ばかりに偏重されても困るという感覚です。

ですがそれが悪い事かといえば、一概にそうとは言い切れないとも感じています。

なぜなら、エンターテイメント的要素も「ゲームの一部」だと思うから。

以前よりも進化したグラフィック・ムービーだって、いくらでも楽しむ要素はあります。
純粋に「すげー!」って感じられるし、前のムービー・グラフィックとどこが違うか、
細かい差を楽しむことだって出来ます。楽しみ方なんていくらでもあるものなのです。

多少話がズレますが、「ゲームで美麗な映像を見るなら映画のほうがいい」という意見は、
私にとっては語る次元が違うものだと思っています。
ゲームと映画とでは、楽しみ方の前提条件、スタート地点があまりにも違いすぎる。
映画とゲームは互換されるものではないのです。

シナリオやストーリー、システムなどがなおざりになっているという意見もよく聞きますが、
個人的には「本当にそうなのだろうか?」と思うのです。


あとは、インターネットの発達によって攻略情報がすぐ手に入るということについて。

これについてはプレイスタイルなのでそもそもどうこう言うことではないです。
人のプレイスタイルにケチをつけるのはゲーマーとしてあるまじき行為です。
たとえそれが改造コードを使うようなプレイであったとしても、
自分ひとりが楽しむ分にはなんら問題ではないのです。(薦めはしませんけど)

個人的には攻略情報を片手にプレイすることは悪い事ではないと思います。

だって、攻略情報といっても、それはゲームの操作部分についてのものだから、
直接ゲーム上でイベントに辿り着いてそれを体感するのと、
攻略情報でイベントを見るのとは感じ取り方がまるで違うのです。

例えば「ここのボスはかなり強い」というような情報を事前に見たとしても、
本当にそのボスが強いかどうかは実際に戦ってみないとわかりません。
情報どおり強いと感じるか、言うほど強くはなかったと感じるかは人それぞれ。
行動パターンが書かれていたとしても、本当にその行動パターンになっているかどうかは
実際にプレイしてみないと決してわからないのです。

まさしく「百聞は一見に如かず」。攻略情報は所詮情報でしかないのです。

それを見てプレイする事が「作業的だ」という意見もよく見かけますが、
それはもはやゲームに対する感じ方自体が「作業」になっているんですよね。
だから、攻略情報を見ようが見まいが関係なく、ゲームをすることを「作業」だと
感じてしまった時点で、もうゲーム自体をを楽しむ事ができないのだろうと思います。

それはゲームに限ったことではないですが、
「趣味」が「作業=やらなくてはいけないこと」に変貌した時点で、
楽しくなくなってしまうのは自明の理じゃないですか。


まあこれはネタバレ論にも関連してくるので、この話はまた別途追記します。
あと、BGMの印象についても次回以降に。



以上、ゲームについて、グラフィックなどの表現方法の進化、その他もろもろについて
今のゲームも昔のゲームもやっている私が感じるところを言ってみました。

所詮、「私はこう思っている」っていう程度の意見です。
元記事が正しいと言っているわけでも、私の感じ方が正しいと言いたいわけでもありません。

そもそもこれは水掛け論なのです。

真実はいつも自分の胸の中にひとつ。

「昔のゲームは良かった、今のゲームはつまらない」というレトロスペクティブな意見だって、
そういう意見を持つ人にとってはそれが真実なのです。
この意見に対して意見をつける人というのは、「自分の考えはそうじゃない」と
思っている人だから、自分の中の真実(=反対意見)を突きつけようとするのです。

私は、「昔のゲームは面白かった。でも今のゲームも面白いと思っている」という
立場からこの文章を書いたに過ぎません。



まあ私の意見に明らかな問題があるとすれば、私は幼少の頃からRPGばかりやってきて、
RPG以外のジャンルのゲームをそれほどやっていない事でしょうか。
ゲームをプレイした絶対数も多くはないですし。





次回予告ッ!
リアルでもネットでもまっとうな常識人として崇め奉られるべき管理人!
しかし現実には理不尽なレッテルを貼られていたので、
その幻想をぶち壊すためにとある検定試験を受けたのであった!
次回、「すくみうさんより重症めもりぃPart2」!ぐぬぬ…!!!

テーマ : レトロゲーム - ジャンル : ゲーム

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