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第1576話「ユア・メモリィ」

どうもルイナです。

今、巷でホット(?)な映画「ドラゴンクエスト Your Story」を見に行きました。


この映画はRPG「ドラゴンクエスト5」を原作とした3Dアニメ映画であり、
あの「ドラクエ」の映画ということで非常に注目度の高い映画でした。

…が、封切られるやいなや、主にネットの評判では賛否両論が相次ぎ、
絶賛している人もいれば、おもっくそ叩いている人もおり、
それがまた両極端なため、私の初感は「なんやこの流れは…」という感じでした。
世の中、評判の常として、貶す声の方が大きく聞こえるものではありますが、
ネタバレ感想などをいくつか見てるとあまりにもあんまりな感想が多く、
私としては「これはむしろ実際に見ないとアカンやつでは…?」という思いが
ふつふつと沸き立ったのでした。



ぶっちゃけた話、私はこの映画の公開情報が出た時点で、
見に行くつもりは全くありませんでした。
どうあがいても自分の中のドラクエ5の思い出に勝てるわけがないという理由からです。

このサイトでも過去に何度か語ったことがあるんですが、
私は「ドラクエ5」が人生で最も好きなゲームです。
誇張なしに私の人生において最高のゲームだと今でも思ってます。
SFC版をリアルタイムでプレイしていたのはもう20年以上も前ですが、
周回した回数なんて覚えてないくらい何度も何度も繰り返しプレイしていて、
今で言う「縛りプレイ」としてスライム系のみでクリアするみたいなプレイもしてましたし、
当時流行った「同じ仲間モンスターが2体いれば裏技でレベルを最大まで上げられる」
というバグを使わず、スラリン(仲間になるスライムの1匹目の名前)のレベルを
99まで地道に上げようとするプレイ中に、レベル73でデータが消えてしまい、
ガチで泣いた記憶は未だに覚えていますし、その後もう一度やり直して、
レベル88まで上げたデータが再び消えてさすがに断念したりもしました。

また、このドラクエ5はPS2とDSでリメイクされており、こちらも当然プレイ済です。
リメイク版は会話システムがあるので人間キャラを各地に連れ回しまくってました。
DS版で嫁候補として追加されるツン成分97%のデボラを嫁にして、
ラスボスのフロアで会話したときのデレっぷりの破壊力たるや筆舌に尽くし難い。
今ではさすがにプレイしてはいませんが、ニコ動とかの実況プレイ放送とかはよく見てます。

ドラクエ5の素晴らしいところは、映画の「ユアストーリー」というサブタイトルにもありますが、
ゲームのプレイ経過がほぼ確実に「同じ結果にはならない」というところにあります。
ドラクエ5の目玉システムである「仲間モンスター」システムがその一端を担ってますが、
簡単に仲間になるスライム(確率1/2)とか、ある程度仲間になりやすくて、
それでいて強いことがわかっているスライムナイト(確率1/4)などは
ほとんどのプレイヤーが仲間にしてるでしょうが、はぐれメタルやキラーマシンなど、
非常に仲間になりにくいモンスターが仲間になる確率は1/256であり、
今で言うところのガチャゲーのSSRを引くような低確率なので、
他のモンスターは仲間にしたりしなかったり、使ったり使わなかったりで、
これだけでもプレイスタイルが千差万別になるのです。
攻略チャートがほぼほぼ固まっているRTAみたいなプレイはともかく、
通常プレイならばまさに「ユアストーリー」なプレイとなる。
それがドラクエ5の魅力の1つなのです。



とにかく、私にとって「ドラクエ5」というゲームはガチで人生に影響を及ぼしたゲームです。
そんな作品のメディアミックス映画なんて、
興味はあれども自分の中のイメージとのギャップが強すぎることになるだろうと思ってて、
見に行かないほうが精神の安定をはかれると思ってたのです。

ところがフタを開けてみれば賛否両論の荒らし…もとい、嵐です。
しかも批判する人はこれでもかってくらいボロックソにこき下ろしてるのです。
「艦これ」アニメのときと似たような状況を感じたんですが、こういうのって、
「叩いていい風潮になってるので便乗して叩いている」
という流れが往々にしてあるので、見るつもりがないところから一転、
「見ないといけないのではないか?見て自分の中での感想を確立するべきでは?」
という感覚になって、結局見に行くことを決意したのでした。


…というわけで前置きがアホみたいに長くなってしまいましたが、
以下に映画を見た感想を書いていきます。めったに使わない追記部分に感想を書くので、
トップページから見てる人は「続きを読む」をポチッと押してください。
もちろんネタバレ全開ですので!

それではどうぞ。





今回の「ドラゴンクエスト ユアストーリー」の感想記事ですが、主な構成として、
「総評」「全体的に感じたこと」「視聴中に感じたこと」を中心に書いていきます。



【総評】

さて、早速ドラクエユアストーリーの総評に移りますが、主に以下の2つです。


・ツッコミどころはたくさんあるけれど、想像していたよりは割とマトモに見れた作品だった
・だがラスト10分のミルドラース戦、テメーは絶対にダメだ



ドラクエ5というゲームは、RTAなら5~6時間でクリアするようなゲームですが、
通常プレイならかなりのボリュームを誇ります。
これを2時間程度の映画の尺に収めるなんてハナッから不可能だというのは
この映画の話が挙がった時点で理解していたので、色んな要素をカットして、
思いっきり縮めたストーリーになってるだろうという予想はしていました。
実際に見ると予想通りというか、予想以上に大胆なカットもあったんですが、
思っていたよりは普通に見れるストーリーに再構築されていたと思いましたね。
こういう作品は別に原作通りに全部のシナリオをなぞる必要性はないと思っているので、
序盤からラスト直前までに関しては巷(主にネット)でこき下ろされてるほど
悪くはないなというのが、私が映画の序盤~終盤手前までを見て感じた感覚です。
まあハードル低めに視聴していたというのはあったかもしれませんが。

ただし、ラストの展開はハッキリ言ってクソとしか言いようがない。
ラスボスであるミルドラース戦でそれまで積み上げてきたモノが崩れ去った気分です。
なぜあんな展開をこの「ドラクエ5」という作品でやらかしてしまったのか。
アレが狙ってやった展開だというのであれば趣味が悪すぎる。完全にケジメ案件です。


…まあ、次は全体を通して思ったことと、視聴中に思っていたことを書いていきます。
他の人の感想記事と内容はある程度カブったりカブらなかったりでしょうが、
こんなことを思いながら見ていたんやな、というところです。



【全体的な感想】

・キャラクターデザイン、演技はとても良い
3Dのキャラデザは鳥山明先生の絵ではないのだが、そんなのは全く気にならず、
非常によく出来た3Dキャラクターのオンパレードだった。
ビアンカとフローラなんてめっちゃ可愛い。あんなん惚れてまうやろ。
キャラの中の人は一部を除き本職の声優を起用してはいなかったのだが、
引っかかるようなことはなく、みんな上手だったと思う。
特にサンチョ役のケンドーコバヤシさんとか、ゲマ役の吉田鋼太郎さんなんて
もう非の打ち所が無いくらいめちゃくちゃハマってた。素晴らしい演技だった。
ちなみにパパス役は「勇者ヨシヒコ」シリーズの主人公ヨシヒコ役の山田孝之さん。

・ドラクエ6のBGMがやたら多い
なぜかはサッパリわからないが、やたらめったらドラクエ6のBGMが多用されていた。
というかドラクエ5のBGMよりもドラクエ6のBGMの方が多かったように思う。
天空シリーズだからか…?と思ったが、同じく天空シリーズの作品である
ドラクエ4のBGMはほとんど使われてなく、ドラクエ6が多い理由がマジで不明。
ちなみにエンディングではドラクエ3のエンディングBGMが流れる。

・主人公がバギ系を多用
主人公は攻撃呪文としてバギ系(バギ、バギマ、バギクロス)を習得するが、
映画ではかなりの頻度でバギ系(特にバギマ)を使っていた。
バギ系は僧侶系の攻撃呪文であることからなかなかスポットが当たりにくいイメージだが、
これをフィーチャーしていたのは結構良いと思った。

・呪文はほとんど攻撃系しか使っていなかった
見た目の派手さの問題もあるだろうが、映画に出てくる呪文はほとんど攻撃呪文だった。
出てきた補助系呪文はルーラとラリホーマくらいしかなかった。
せっかくなんだからマヌーサとかフバーハとかマホカンタとかも使ってほしかった。

・主人公がターバンを着用しない
これはややマイナスな感想。
ドラクエ5の主人公の出で立ちといえばターバンだと思うのだが、
映画では青年期初期に少し巻いていただけで、途中からターバンは無くなってしまった。
まあ、あまりターバン巻いているとヨシヒコと変わりなくなってしまうという
危惧があったのかもしれないが…
同様に主人公のメインウェポンも杖ではなく剣だった。
パパスの剣もあるし仕方がないといえば仕方がないのだが…

・主人公がモンスターを仲間にしない
これもマイナスな感想。
ドラクエ5の主人公といえばモンスター使いであり、モンスターを仲間にできるという
特殊能力を駆使して様々なモンスターを仲間にするのが魅力なのだが、
映画ではスライムのスラりん(リメイク版準拠。SFC版では「スラリン」)、
ベビーパンサー(キラーパンサー)のゲレゲレしか仲間にならない。
そもそも、主人公のモンスター使いとしての能力は後述するとある1シーンのみしかない。
モンスターの3Dグラフィックは多種多様に作っていたんだから、
もっと色んなモンスターをガヤでも良いから仲間にしてほしかった。
せめてドラキー(ドラきち)やスライムナイト(ピエール)くらいは増やしても良かったのでは。



【視聴中の感想】

・冒頭のファミコン(FC)フォント
これはいらない。そもそもドラクエ5はスーファミ(SFC)のゲームなので、
やるなら最初からSFCのフォントでやるべき。
直後にSFC版のゲーム画面そのまま出すなんてことやるんだからなおさら。

・SFC版のゲーム画面でダイジェスト
主人公(リュカ)が生まれるシーンからレヌール城の親分ゴースト退治まで
ゲーム画面をそのまま放映するという暴挙(?)に出る。
これをやったことによる視聴者への印象はどうなんだろうか…ぶっちゃけわからん。
ちなみにリメイク版で追加されるフローラとの初対面イベントが
SFCゲーム映像に追加(捏造?)されてた。
また、冒頭の主人公誕生シーンは後の展開で齟齬が生じる要因になってしまっている。
ここは普通に3Dアニメでスタートすればよかったと思う。
ちなみに、DS版だとデボラもいるのだが、映画にはデボラは登場しない。

・ゴールドオーブがドラゴンオーブに差し替え
レヌール城を攻略した際にもらえるオーブがゴールドオーブからドラゴンオーブに差し替え。
これはこっちの展開の方が良い。
原作ではドラゴンオーブはボブルの塔にあるのだが、言ってもただのダンジョンであり、
映画のストーリーとしてはわざわざボブルの塔を設定しても意味がないので。

・ドラゴンオーブすり替えイベント
幼少期の主人公が青年期の主人公にオーブをすり替えられるイベントから3Dアニメ開始。
サンタローズが主人公の母屋しかなく、住民がいる描写も無かったのだが、
この時点ではサンタローズは普通に村なので、他の住民もいるハズだが…とか思っていた。
このすり替えイベント、後述の幼少期妖精の国カットと合わせて、
必要だったのか?という案件。

・幼少期の妖精の国カット
幼少期の2つ目のイベントである妖精の国で雪の女王を倒し、
「春風のフルート」を取り戻すイベントがカット。これによりベラも登場せず。
ちなみに、サンタローズは雪国みたいな描かれ方をしていたが、
原作ではそこまで雪まみれではない。このことから私は、
「妖精の国カットしたから春風のフルート奪われたままで春が来ないのか…」とか思ってた。

・ラインハットでヘンリーが攫われ、パパスが斃される
幼少期最後のイベント。ちなみにここまでで10分くらいの展開。
ヘンリーの部屋の階段ネタはカット。ヘンリーを攫うのはモンスターに変更されていた。
ここは原作だとあらくれに危険タックル(?)されるのだが、世情を考慮したのだろうか…?
パパスがラインハットに来た理由は原作でもハッキリと描写されているわけではないが、
後述の後半部の大幅カットの余波で、余計に何をしにきたのかわからなくなっている。
パパスがゲマ一味にやられる、いわゆる「ぬわーーー!」のシーンだが、
ゲマのパパスへのトドメはメラゾーマ(リメイク版準拠。SFC版は激しい炎)。
原作だとパパスは黒焦げにされて跡形も残らないが、
映画では今際の際に主人公と会話する展開に改変。
なお、原作ではここでゲマにオーブを破壊されるのだが、映画ではカット。

・セントベレス山の大神殿
10年間(リメイク版準拠。SFC版は「10年余り」)、大神殿でカイジばりの強制労働を経て、
タルで脱出するイベントだが、映画ではヘンリーが脱出方法を思いつくという展開に変更。
マリア(と、ついでにヨシュア)は登場せず。必然的にヘンリーとマリアの結婚ネタはカット。
ヘンリーは原作だと幼少期の高圧的な性格は完全に無くなるのだが、
映画では性格は変わらず態度がデカいままに改変。
まあこれはキャラ付けとしてわかりやすくするためと考えればまあアリではある。
どっちかと言うと主人公の性格が微妙に三枚目っぽくて自信なさげなところのほうが
個人的には気になった部分。
私のドラクエ5主人公のイメージは、モンスターを虜にするほどの優男なルックスだが、
パパスの遺志を継いで迷いなく道を切り開いていくような意志の強いキャラだったので。

・セントベレス山の麓に街がある
これは原作にない設定。強いて言うならジャハンナ(魔界にある街)のイメージだろうか?
タルで脱出した主人公とヘンリーがここでプサンに出会う。
なお、原作だとプサンはドラクエ5のストーリーが始まった時点で、
既にトロッコでぐるぐるしている。
修道院に流れ着くイベントはカット(というか修道院自体がカット)。
オラクルベリーもカット。モンスターじいさんにも会うことはない。

・ヘンリー離脱
原作ではラインハットのお家騒動の解決(ニセ太閤撃破)後にヘンリーが離脱するが、
映画ではラインハットへの関所でヘンリーと別れていた。
青年期最初のイベントではあるが、本筋からはやや離れるのでカットでも良い。
ちなみにここを守る兵士(トム)へのヘンリーのイタズラ(カエルを背中に入れる云々)は
なぜか拾っていた。チョイスとしてはアリ…なのか?
サンタローズに向かう道すがら、大神殿から密かについてきていたスラりんが仲間になる。

・サンタローズでサンチョと再会
後述の後半部大幅カットの余波で、サンタローズでサンチョと再会することに。
サンタローズの洞窟の最深部は主人公の母屋の地下室に差し替え。これはこれでいい。
原作ではここで天空の剣が手に入るのだが、映画ではルドマンが所有していることに改変。
この改変だが、主人公が旅をする中期的な目的設定として上手く機能していたと思う。
ちなみに原作でルドマンが持っているのは天空の盾だったのだが、盾は登場せず。
…というか天空装備は剣以外全て登場せず。必然的にテルパドール(兜がある城)もカット。
サラボナへの道中、カボチやルラフェン(ルーラ習得イベント)はカット。
ゲレゲレは道中で再会。このあたりは蛇足なのでダイジェスト及びカットでいい。

・結婚イベント
ドラクエ5発売から20年以上経った今でも未だに語り継がれている、
「ゲーム史上最大の究極の選択」ことビアンカorフローラ(DS版ではデボラも追加)の
結婚イベント。映画でもここは重点的に描いていた。
サラボナの改変は個人的にこの映画で上手く再構築したポイントと思っている。
原作では火と水のリングを探し出すというイベントが入るのだが、
映画では青年期後半のイベントであるブオーン討伐を持ってきて差し替えており、
サラボナ関連のイベントを一気に消化する形にしている。
ここでフローラと再会、その後ビアンカとも再会するが山奥の村はカット。
ブオーン討伐時に主人公がブオーンを手懐けるのだが、
主人公のモンスター使い要素はここだけである。
で、結婚イベント本番だが、原作の「究極の選択」のシーンは改変され、
フローラに求婚するも、その夜に宿泊していた宿屋にて占いババから、
主人公が深層意識ではビアンカに傾いていたことを呼び起こされた結果、
最終的にはビアンカを選ぶ、という流れに変えられていた。
この占いババ、原作でオラクルベリーにいたキャラ(モブだが)の流用と思われるが、
映画ではその正体はフローラがモシャスで変身した姿だった。
…フローラってモシャス使えたっけ?
サラボナのイベントは先に言った通り上手く再構築したとは思っているが、
結婚相手を選ぶくだりは個人的にはやや回りくどいように感じた。
ここは普通に原作通り究極の選択をさせていれば良かったのではないかと思う。
もしくは、映画のような展開にするのなら、深層意識を呼び起こされた結果、
「やっぱりフローラを選ぶ」という流れにするべきじゃないかと思った。
これ以降、ルドマンとフローラの出番は無くなる。これはちょっともったいなかった。

・結婚後
ビアンカと結婚後、ポートセルミからの船旅からデモンズタワーまでの旅路は全てカット。
そう、全てカットしているのである。
これが意味するところは「グランバニア城をカット」しているということである。
(だからサンチョと再会するのがサンタローズに変わっていたのである)
すなわち、主人公がグランバニアの王族という設定も消滅してしまっている。
これのせいで、映画冒頭のSFC映像の主人公誕生シーンとの齟齬が生じてしまう。
さすがにこれは脚本レベルでダメダメな点といえる。
こうするなら冒頭の誕生シーンはカットしなければならない。
もしくはせめて背景くらいは改変する必要があった。
そのくせ主人公のフルネームが「リュカ・エル・ケル・グランバニア」であり、
「グランバニアって何やねん」という状態になってしまっている。
グランバニアをカットするなら主人公のフルネーム完全にいらんやつ。

・出産イベント
グランバニアをカットしてしまったせいで、出産イベントはサンタローズで行われることに。
雪に閉ざされた上に住民がいない(ような描写である)サンタローズで出産するのは
かなりムチャじゃないかな…と思いながら見てた。
そして生まれるのはなんと息子のみであり、双子の妹(タバサ)は登場せず。
個人的にはこの改変はなんでやねん!と思ったが。
ちなみに息子の名前「アルス」はドラクエ3の小説版かなんかで
主人公(勇者)に使用されたことのある名前である。
なぜ息子の名前を公式(リメイク版の初期設定)の「レックス」にしなかったのかは謎。

・石化イベント
息子出産後の石化イベントはデモンズタワーをカットしたためサンタローズに変更。
ジャミだけでなくゲマ、ゴンズも登場。
ここでは主人公のみが石化され、ビアンカは大神殿に攫われてから石化。
で、8年経過し、ストロスの杖により主人公が復活。
息子と再会し、天空の剣を息子が抜き放つシーンは映画の見せ場の1つといえる。
ちなみに娘がいないためか、息子がルーラを使っていた。
あと、どうでもいいけどジージョは登場せず。

・青年期後半
主人公が石化から復活した後の原作イベントはほぼ全てカットされていた。
すなわち、エルヘブンや天空の塔、天空城の設定は消滅。
天空の勇者は天空人とエルヘブンの両方の血がないと誕生しないという
細かい設定ももちろんカット。
これらのイベントはすっ飛ばして、映画では青年期序盤のセントベレス山の麓の街で、
プサン=マスタードラゴンの力を借りるという展開に改変。
もはやここまでくるとダイジェストですら無いが、映画の尺を考えると仕方がないところ。
主人公の持つドラゴンオーブが偽物であるという設定を拾い、妖精の国に向かうことに。
個人的には、幼少期の妖精の国イベントをまるまるカットしたんだから、
あえてここで妖精の国に行くイベントを採用するのはなんだかなーという感じではあった。
そしてオーブすり替えイベントを実行する。

・最終決戦
映画の尺の問題もあり、大神殿で最終決戦開始。ラマダ、イブールは登場せず。
モンスターの大群に対する主人公たちの立ち回りのアクションはなかなか良かった。
多勢に無勢という展開の直後、ヘンリーとブオーンが味方増援として登場。
ブオーンを改心させた伏線を拾うという展開ではあるが、
ヘンリーとブオーンの接点がなさすぎるので、かなりムチャな展開である。
ブオーンを使いたいなら増援はルドマンとフローラにするべきだった。
そして主人公とゲマの決戦後、映画の物語は想像を絶する展開を見せるのであった…

・ミルドラース降臨
主人公と息子に倒されたゲマがマーサの力を奪い魔界の門を開くと、
魔界の王ミルドラースが登場し、ラスボス戦へと突入する…
…はずであった。
なんとミルドラースはミルドラースではなく、ゲームそのものを破壊するウイルスが
擬態したものであり、主人公以外のキャラやモンスター、背景などを全て解体。
主人公に「現実に戻れ」と言い放つのであった。
ここでタネ明かしとして、実はこの世界はVR世界であり、
主人公はまさしく「ゲームのプレイヤー」だったということが判明する。
成す術なくVR世界を解体され万策尽きたと思いきや、ここにきてスラりんが突然喋り出し、
実はスラりんはアンチウイルスプログラムだったことが明かされ、剣に変身し、
主人公はアンチウイルスの剣で見事ミルドラース=ウイルスを破壊。
世界は元に戻り、エンディングを迎えるのであった…

…という、ラスト10分はあさっての方向に展開するのだが、感想の冒頭でも言ったとおり、
この展開は文字通りこの映画そのものの出来をブッ壊したと思っている。
色んなツッコミどころはあるにせよ、普通に見れる作品であったはずなのに、
ハッキリ言って台無しである。クソ判定されてもしょうがない。

「VR世界だった」というのを衝撃的な事実!として描きたかったのかもしれないが、
ハッキリ言ってそんな展開は異世界召喚・転生モノがたくさん存在している今の時代では、
何の目新しさもないし、もはや陳腐と言っていいしょうもない展開である。
そもそも映画を視聴する側からしても、
最初からドラクエの世界を味わうために映画を見ているんだから、
「実は虚構でした!」なんて言われても水を差されたようにしか感じない。
しかも主人公の半生を描くドラクエ5でそんな展開をするのが全くもってナンセンスである。
1億歩譲ってそういう展開がやりたいならドラクエ1でやれと。
スラりんが突然アンチウイルスプログラムだったとカミングアウトするのも、
あまりにも映画の全体の流れにそぐわない唐突さである。
ずっと仲間にいたのに喋るのはラストだけというのも半端だし。
何より、アンチウイルスの剣が「ロトの剣」だったのが圧倒的にセンスが無い。
そこは主人公の最強装備の「ドラゴンの杖」にするべきだろ!

何度思い返しても、この映画のラストの展開は何の脈絡もなく、
取って付けたような安直で陳腐な「衝撃の展開!」でしかなかった。







…はあ。

というわけで、私の「ドラゴンクエスト ユアストーリー」の感想としてはこんなところです。
最後にもう一度書きますが、総合的な感想としては、


・ツッコミどころはたくさんあるけれど、想像していたよりは割とマトモに見れた作品だった
・だがラスト10分のミルドラース戦、テメーは絶対にダメだ



…であり、この2つに集約されました。
最後以外は普通に面白かったと言える作品でしたよ。…最後以外は。


テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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