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第1216話「科学は万能足りうるか?」

どうも、理系の割に感覚勝負なルイナです。

理詰めで物事を理解していくのが理系だと思うんですが、
どうも私は直感を頼りにすることが多いようです。
小学校の算数のテストでも、文章問題を見た瞬間答えがひらめくんですが、
答えに至る式がわからなくて減点されたことが多々ありましたよ。

そんなこんなで(なにが?)、本日の本題。

「科学的根拠」を求めるとバカになる 「考えるのが好きだった」

「数字は絶対たる存在」であるとウチのサイトでもちょくちょく言ってますが、
なぜそういうふうに言うのかというと、数字って比較するにあたって
まさしく絶対だからなんですよね。

1は2よりも小さい。5は3よりも大きい。捻くれた考え方をしない限りはこれは絶対です。
1対2なら2の方が勝ちです。1位と2位なら1位のほうが基本的にランクが上です。
付加する属性がなく数字だけで見る場合、数字とは絶対的な証明材料となりますね。

数字とはデジタルでありデータであり、絶対的な保証となると共に、
それ以上も以下も保証しません。
機械には数値データを打ち込むことで、そのデータ通りの挙動を約束しますが、
その領域を越える神業や汎用性を持つことは出来ません。


…なんか話が取っ散らかってるような気がしますが、
元に戻すと、「科学的根拠」の重要な点というと、
「数値データをどこまで信用できるか?」というところですよね。

ぶっちゃけた話、データとして得られた数字なんていくらでも加工できてしまいます。
なぜなら、それを処理するのは人間だから。ヒトの意思が介在してくるから。
それをさもありなんと開示して、「科学的根拠」と言い切ってしまうことも出来てしまう。

まあデータの加工は捏造という話にもなってきますけど、
データの「解釈」は捏造でも何でもなく、ヒトの自由になって来ます。
得られた「結果」は絶対的でも、そこから「どう読み取るか」は個人の採択。
自分の都合の良いように「根拠」としてしまうことも可能なわけです。

結局何が言いたかったのかというと、

「『数字』は絶対だが、『解釈』は絶対ではない」

ということ。

だからこそ、「科学的根拠」を盲信すると痛い目を見ることもあるということでしょう。




次回予告ッ!
日常生活は基本的に毎日が同じ事の繰り返し。ルーチンワークである。
しかしそのルーチンを打破するような特別な出来事が起こった場合、
日常は非日常へとその姿を変貌させるのであった!!!
次回、「日常と非日常の境界」! 漫画やアニメではこれが面白さのキーではあるが…

テーマ : ひとりごとのようなもの - ジャンル : 日記

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